ミサの典礼の流れ ・ 説明と歴史




ミサを歴史から見てみよう

 ミサという言い方の意味

  初代教会の信徒は、ユダヤ教の習慣に合わせて、安息日の食事をしながら、同時に主の晩餐の記念を土曜日の夜に行っていた。 ルカによると「信者たちはひたすら心を一つにして…家ごとに集まって「パンを割き」、喜びと真心を持って一緒に食事をし、神を賛美していた。」(使徒言行録246) しかし、信者たちは次第に、安息日に分かち合いの「アガペーの食事」 だけを取るようになり、次の日曜日の朝は 「主の晩餐」 「パンを割く式」 を行いながら 主の復活の記念をも祝うになった。

  ここで、使徒パウロの影響が強く感じられる。 「一緒に集まっても、「主の晩餐」を食べることにならないのです。 なぜなら、食事の時、各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです」(1コリント11,20-21)と彼は述べている。 この教えに従って、1世紀半から 3世紀の終わりまで、一緒に分かち合う「アガペーの食事」が 特にやもめたちと貧しい人々のために行なわれていた。(参照 使徒言行録612

  そうして、主の晩餐はギリシャ語とラテン語で、最終的に日曜日の朝に行われるようになった。 4世紀の初め、キリスト者の迫害が終わると 次第に「パンを割く祭儀」は「Eucharistein 感謝の祭儀」という新しい名で呼ばれるようになった。 しかし、この呼びかけは 既に1世紀の終わりに使われていた。 中世の人々が 主の晩餐の記念を「ミサの聖なるいけにえ」と名付けたにもかかわらず 「感謝の祭儀」という名は  今もなお 残っている。

  さて「ミサ」という呼びかけはどこから来たのだろうか? やはり、ローマの初代教会の時代からである。 というのは、ローマの法律で裁判の終わりに審判者は「Acta missa ite in pace」即ち「するべきことが終わった、平和のうちに帰りなさい」と宣言していた。 それを真似て、感謝の祭儀が終わる時に 司祭は「Ite missa est」「感謝の祭儀が終わります、さあ行きましょう、主の平和のうちに!」 というのが習慣になった。 そいう訳で、こんにちの感謝の祭儀を「派遣」の意味を保ちながら「ミサ」と呼ぶようになった。

1-入祭の歌

  教会の歌,詩篇、賛歌と讃美歌は、全て祈りである。 どんな目的で歌われていても(礼拝、賛美、償い、感謝、祈願)入祭の歌は まずキリストの名によって、共同体として集まっている人々のうちに祈る心をつくる。 また、入祭の歌は、私たちの間に来られる神を迎えるために、全てのキリスト者が一致するように招いている祈りである。 それは 入祭の歌に合わせて、神が自分の民を訪れるからである。

  入祭の歌は、典礼の霊的な行いであり、 聖霊の神殿として私たちを形づくる。 「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊に満たされた家に築き上げられるようにしなさい。 それは、聖なる祭司となり、イエス・キリストを通して神に喜ばれる霊的ないけにえを捧げるためである。」(Tペトロ2,5) 「神は、聖所におられ、イスラエルの民の賛美の上に坐する方」であることを 詩編22,4は教えている。 従って、入祭の歌は 神が私たちの間に来られることを実現する。 入祭の歌に伴って入堂する司祭と侍者たちの行列がそれを具体化する。

2-入堂の行列

  入堂の行列は 神が私たちの内に来られることを具体化する。 司祭と彼が着ている祭服は 神の現存を表し、司祭が伴う侍者たちと彼らが着ている白いアルバは、神を囲んでいる天使たちを象徴する。

 ミサの最初から昇っている香炉の煙は この事実をもっと具体的に示す。 と言うのは神がモーセに現れる度に シナイ山が雲と煙に覆われていた。 また、砂漠の出会いの天幕を覆った煙は イスラエルの民に神の存在を具体的に表したこと、更にソロモンが建てた神殿が雲と煙で満たされたことを ミサの間にたく香の煙は思い起こさせると同時に 確かに、神は共同体の中に存在する事を見せている。

 司祭の行列と香をたくという二つのことによって、キリスト者の共同体が神の栄光を表す神殿であることを示す。 そういう理由で、キリスト者は、入祭の歌と行列が始まる前に、神を迎えるために、必ず、時間通りに教会に来ておくことがとても大切である。

3-祭壇にキスをする

 祭壇にキスすることで神父は あっという間に司祭となり、神の口となって、神と共に呼吸する。 最初の役割として神の息吹を受けた司祭は 神の名を宣言する。 神は「父、子、聖霊」である。 創造主である御父、救い主である御子、慰め主、保護者である聖霊の名によって 皆が三位一体の神と一致するように 司祭は神の名によって皆を招く。 信徒は、「ア−メン」と答えながら 賛成の意思を表し、同時に 神の愛と救いの印である「十字架」を切る。 この時から 信じる人々の共同体が 救いの秘跡に与るキリストの教会となる。

 そして、司祭が聖堂で集まっている人々を(信者も、信者でない方も)神の名で祝福する。 「主イエス・キイストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に」。 信徒たちが「また司祭と共に」と答えると 司祭と共同体との一致が実現する。

4-回心への招き

  聖堂に集まっている信徒たちは いくら努力しても、またそれを強く望んでも 神の恵みがなければ 聖なる民とならない。 だから、司祭は 皆さんを回心へと招く。 その招きは 先ず 謙遜と正直を要求する。 皆の前で、正直に、大声で、皆は 自分が罪人である事を認め、告白する。 思い、言葉、行い、怠りによって犯した罪を「全能の神と兄弟の皆に告白します。」 それが最初の信仰宣言である。 この宣言は 勇気と互いの信頼を要求する。 と言うのは、この告白は 最後の審判と等しいからである。

 私たちは 神と母マリアと天使と聖人の前でも、そしてまた、自分を囲んでいる兄弟姉妹の前でも、罪人であることを はっきりと認める事になる。 しかし、同時に、真心から、天と地上にいるすべての兄弟姉妹の祈りと執り成しを願う。 誰も一人で回心できない。 従って 罪人の私たちは 皆の助けを願い、一緒に 神の聖なる民になる決意を宣言する。 皆の祈りの助けを願うことで 互いの信頼を表し、更に、自分のそばにいる兄弟姉妹の祈りと執り成しが 母マリア、全ての天使と聖人の祈りや取り成しに等しいものだと宣言する。

 しかしこの回心の式は決して「赦しの秘跡」の代わりにならない。 罪を赦されたい信者は 個人的に赦しの恵みを受ける必要がある。 これについて 司祭の結びの言葉が証する。 「全能の神が 私たちをあわれみ、罪を赦し、永遠のいのちに導いてくださいますように。」 この「ように」と言う言い方は 確信ではなく、希望を表す。 司祭は赦しの秘跡の時に言う「私はあなたの罪を赦す」とは全く違う。 公に、告白の言葉を述べた人が それを習慣として宣言したか、真心から宣言したかどうか 司祭は 全く分からない。 事実、 本当に罪の赦しを心の底から望んだ人は赦され、むしろ、望まなかった人は 罪の状態に留まる。 正直な告白によって、共同体の兄弟姉妹が 互いに聖なる者となるように願えば、確かに、教会は罪から清められた聖なる民となる。

5-司祭の挨拶「主は皆さんと共に」

  司祭は祈る度に「主は皆さんと共に」(ラテン語の忠実な翻訳は「主はあなたがたと共に」という。 これは教皇・司教・司祭だけしか言わない言葉である。 つまり叙階された人が言う言葉で、これは聖書的な挨拶であり、同時に貴重な祝福である。

 旧約聖書と新約聖書で365回も使われているこの挨拶は、男性だけに言われている。 それによって、神は人に 特別な使命を与えようとする。 例えば、「主があなたと共におられる」とアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデ、預言者たちなどに何回も言われている。 しかし、女性に対しては1回だけ、マリアに言われた。(ルカ128) それを聞いたマリアは戸惑って、この挨拶の意味について考え始めた。 天使ガブリエルが 挨拶の意味をすぐに説明する。 マリアは 救い主の母となるために、神から選ばれた人であった。

 初代教会の時代から キリスト者は この挨拶を男女の区別なく、共同体の皆のために使っている。 この挨拶は 信仰宣言であり、力のある言葉である。 またこの挨拶は 望みではなく、事実を宣言する。 「主はあなたがたと共に居るように」ではなく、「確かに、主はここに居る。丁度私たちの間に。」と言う。 集まっている共同体の内にご自分の約束を新たに実現するために、神が実際に一緒におられる。 神が共同体の希望を満たしていると同時に、神と共にあって、共同体は新しくなり、聖とされ、神の住む場所となる。 従って、この挨拶を受けた人が 神の現存に対して注意深い者とならなければならない。

6-共同体の返答「また、司祭と共に」

  共同体の返答も信仰宣言である。 「また、司祭と共に」と、神が司祭と共におられ、彼を通して働かれることを宣言する。 共同体を教え導き、また、共同体の信仰を強めながら、キリストの名によって、共同体を神に相応しい供え物としてから捧げるために、司祭が選ばれている。 もちろん司祭が 共同体から受けた「また、司祭と共に」と言う挨拶に対して 注意深い者となるのは 避けられない事実である。

 ミサ中に、この互いの挨拶「主は皆さんと共に」「また司祭と共に」は 何回も繰り返されるので、その意味をよく理解した上で、それに対して、司祭も、信徒も目覚めている必要がある。

 司祭は「主は私たちと共に」とは言わない。 その理由は 司祭は普通の信者ではなく 神に選ばれて、ある共同体に遣わされている者だからである。 司祭は神の前で 共同体の声となる。 神は彼の口を通して語る。 例えば、不思議なことではあるが、 司祭が説教をしている時、急に、神は司祭に、彼が準備していなかった、あるいは全く考えなかった言葉を吹き込み、言わせる。 また、司祭が他のことについて語るように 彼が説教の紙に書いてある箇所を見ないように隠すこともある。 そこに、神のユーモアと悪戯がある。 そんな不思議な時に、結局、神は 司祭の口を通して、信徒に直接語っていると言える。 これは特別な神秘である。 確かに、司祭も、信徒も 皆一緒に 司祭の口から出る命の言葉を受け留め、心に納めるのは大事なことである。

 神は確かに共同体と共に、司祭と共におられる。 それは、皆が益々、一緒に、神の聖なる教会となり、また、神の栄光の住まいとなるためである。 信じる人は、誰であろうと、命のことばを心に納め、優しく受け止めることを学ぶ必要がある。 そいう訳で、「主は皆さんと共に」「司祭と共に」の意味を深く考え、習慣的に言わずに、互いに励まし合うように努めよう。

7-あわれみの賛歌

 「あわれみの賛歌」は古代イスラエルの賛美歌である。 ヘブライ語の言葉「母の胎内」は日本語で「憐れみ」と翻訳された。 母親の心を持っている神に向かって イスラエル人は 「主よ、憐れみたまえ」と言いながら 実際に 次の事を願う。 つまり「主よ、あなたの心をわたしの惨めさに置いて下さい」という願いである。

 初代教会のキリスト者が昔から言い伝えた祈りを ギリシャ語に翻訳した上で、三位一体の神への祈願に変化した。「Kyrie eleison  憐れみの賛歌」とは 初代教会の大切な祈願である。 キリストの到来を待ち望んで信者は「Maranatha 主よ、来て下さい」と「神の子、主イエス、憐れんで下さい」という簡単な祈願を ギリシャ語、アラム語、ラテン語でも、自由に何回も、何回も繰り返していた。 古いローマ典礼では 何回繰り返すかは 決まっていなかった。 例えば、7世紀末の「ローマ式次第」によれば、教皇が合図をするまで何度でもこの祈願を繰り返していた。 現代では 「主、キリスト、主」の順に3回、あるいは2回繰り返す習慣になりました。

 ギリシャ語で「キリエ、エレイソン・クリステ、エレイソン」と何世紀にも渡って すべての教会で歌われてきた。 また、通訳の出来ない言葉を このままにして、教会は大切にしてきた。 例えば「アーメン、アレルヤ、ホザンナ、エファッタ、タリタクム、マラナタ」など。 三位一体の神に捧げられている憐れみ賛歌を歌う時、あらゆる時代のイスラエル人とあらゆる時代のキリスト者は一致して、神が救いの業を全うするように願っている。

8-栄光の賛歌

 栄光の賛歌は 人々に与えられた神の救いを感謝する。 この賛歌は 初代教会の朝の祈りとして4世紀まで使われた。 司祭と司教だけが捧げていた。 313年のコンスタンティノス皇帝の時代に教会が自由を得たので、迫害の終わりとともにこの賛歌はミサの典礼に入り、しかし、ローマの司教 (教皇)だけが一人で、歌うようになった。 特に、クリスマスや特別な祝日(復活・昇天、聖霊降臨)のミサで歌われていた。 5-6世紀になると段々すべての司教が、待降節と四旬節以外に、日曜日のミサの時に歌うようになった。 だが信者は聞くだけであった。ようやく11世紀の終わり位に、こんにちまで、司祭たちをはじめ、一般の信徒も 一緒にこの賛歌を歌うようになった。

 この賛歌は、神の栄光から始まり「天のいと高きところには神に栄光」そして神の栄光「父なる神の栄光のうちに」で終わる。 この間に3回 キリストの憐れみと執り成しを願っている。 聖霊の交わりの内に宣言される 三位一体の神秘でこの賛歌が終わる。 栄光の賛歌は初代教会の宝物であり、あわれみの賛歌と同様に それを唱える人々とあらゆる時代のキリスト者を一致させる貴重な賛歌である。 憐れみと栄光の賛歌は、 一致する賛歌である。 この賛歌を歌う度にあらゆる時代の信じる人々が一致して 悪と罪から解放され、救われたいと同時に一日も早く神の栄光に与りたいという希望を 三位一体の神に宣言している。

9-集会祈願

 集会祈願は父なる神に捧げられる最初の祈りである。 「祈りましょう」と言ってから司祭が沈黙を保つ。 しばらくの間、共同体の信者も沈黙を守って、教会の中では何ひとつ動いてはならない。 この沈黙の間に、司祭と一致して キリスト者たちは 父なる神に向かう。

 しばらくしてから、司祭が集会祈願を唱える。 聖霊の交わりの中で、私たちと共に祈るキリストによって、司祭は 父なる神にこの祈りを捧げる。 集会祈願は3つの部分から成り立っている。

  第1の部分:司祭は、父なる神の神秘の一つの面について神と語る。

  例えば:「全能の父よ、私たちは、聖霊によってあなたの子どもとして頂きました。」

  第2の部分:神について言われたことを参考にして 司祭が特別な恵みを願う。

   例えば:「あなたを父と呼ぶ私たちを、約束された永遠の命に導いて下さい。」

  第3の部分:最後に、司祭は三位一体の神の神秘について信仰を宣言する。

   例えば:「聖霊の交わりの中で、あなたと共に世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。」

 「世々に」…集会祈願という祈りは、人間の人生の制限された期間をはるかに越えて、既に永遠の世界に入る値打ちを持っている。 「アーメン」…ヘブライ語であるこの言葉は、全ての祈りを締めくくる。 アーメンは「信じる、賛成する、その通り、本当だ、このようになるように、そう望んでいる」、等々の意味をあらわす。

 集会祈願は、カトリック教会の特徴のある祈りである。 世界中で何処にいてもキリスト者は同じ言葉を使って、同じ願いをする。 この祈りにより信仰の内に全てのキリスト者と共に私たちを一致させる。 またこの祈りは、聖徒の交わりを具体化する。 ただ一人で集会祈願を唱える司祭は皆の声となっている。 従って、司祭によって神に宣言する言葉を信者たちは自分のものとするために、集会祈願の始めの沈黙の時を大切にするように呼び掛けている。

10-み言葉の典礼

 ユダヤ教の伝統に基づいて、カトリック教会は3年間の間に聖書全体を読むように、勧めています。日曜日は、A,B,Cの年に分けられ、平日では2年間で、奇数と偶数になっている。 日曜日に読まれる3つの朗読は、説教と信仰宣言と共同祈願とに深い関係を持つ。

11-1朗読

(旧約聖書)は、救いの歴史と神がご自分の民と結ばれた契約を、思い起こさせる。 旧約聖書を通して、父なる神は私たちに対するご自分の無限の愛を示し、また、私たちをどうしても救いたいという意志を表す。 旧約聖書は神の啓示である。

12-詩編

 詩編の目的は、父なる神の言葉から、人間になって生きている言葉であるイエズスを聞き分けるために、私たちに弟子の耳を作ることにある。 詩編は、また、私の方へ聖霊を引き寄せる。 キリストの証人が全ての詩編をよく知っていて、彼らが残した様々の手紙の中で、詩編の言葉がよく出てきます。

13-2朗読

 (新約聖書)聖霊に導かれた使徒たちの手紙が、復活されたキリストに対して証しする。 また、イエスを通して神がどのように、ご自分の救いの計画を実現したかを、説明する。 第2の朗読は特に、初代教会の信者がどのように生きていたか、成長しながらキリストに於ける信仰をどうのように伝えたかを理解させる。

14-アレルヤ

 皆が立ちあがる。 キリストご自身が、自分の教会と語るからである。 福音を聞くこと自体が秘跡である。 確かに、キリストは私たちの間にいる。 アレルヤ唱は、いつも福音の中に言われている一つの節を繰り返す。

15-福音

 叙階された人(司教、司祭、助祭)だけが、福音を読む。 但し、招きは次のように言う。 例えば、マタイによるイエス・キリストの福音と。(Reading from the gospel of the Lord according to Matthew)。 福音の後に言われるべきものは、次のようなものである。「Verbum Dei」「神のみ言葉をほめたたえよ」 皆が答えるのは、「Laus tibi, Christe」「キリストよ、あなたに賛美」 この答えは私たちに共同体的にキリストが共にここにおられることを思い起こさせる。

 福音を読む前に、信徒たちは額、口、心に十字架のしるしをする。 これは、 ユダヤ教の伝統的な動作である。 この動作は 神の言葉を心に留め、魂に刻み、覚えとして額に付け、絶えず口で語り聞かせる 事を具体的に思い起こさせる。 (・「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、」(申命記6,6)・「あなたたちはこれらのわたしの言葉を心に留め、魂に刻み、これをしるしとして手に結び、覚えとして額に付け、」(申命記11,18

  そこで 私たちは、額、口、心に十字架のしるしをすることで、次のことを事で示す。

 額:神言葉を黙想をするために また、その言葉が、絶えず自分の考えにあるように。

 口:神の言葉を宣言するために、その唇にあるように。

 心:神の言葉によって生きるように、私の心にあるように。

16-説教

  説教は言葉の典礼の大切な部分である。司祭は重大な理由がない限り説教を省くことができない。 叙階された人だけが(司教、司祭、助祭)説教をする。 神の民は、まず、第一に、生きた神の言葉によって集められている。 従って、説教者は 神の声となって、特に、御言葉の典礼の三つの朗読に基づいて 分かりやすい説明をし、また、信じる人の信仰をやしない、強め、教え導くように努める。 説教は 決して説教者の気持ちや感情、懐かしい思い出などを 伝える世間話となってはならない。

  ところで、6世紀まであった ミサの間に説教をする習慣が 何世紀にも渡って 完全に消えた。 そして司祭はミサ以外の時に 福音について長い説明をするようになった。 第一の理由は 様々の新しい修道会の説教者の活動が盛んになったことである。(コロンバン会、フランシスコ会、カプチン会、ドミニコ会、イエズス会 など) 彼らは、村から村へと行って、色々と上手に教えていたからである。 第二の理由は 説教が ミサの流れを邪魔すると考えられていたことである。 しかし17世紀の終わりに説教がミサの流れの中に戻ってきた。 第二バチカン公会議が説教の必要性と説教の内容や伝え方を決定的に定めた。

17-信仰宣言

  キリストの弟子たちは最初の信仰宣言(ケリグマ)を残した。 使徒パウロは コリント教会への手紙の中でそれを述べている。 つまり「キリストが、聖書に書いてある通り 私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、又、聖書に書いてある通り 三日目に復活したことである。」(Tコリント 15,1-8)そう言いながら、初代教会のキリスト者は イエスが神であり、人間になったこと、神から遣わされた救い主、あがない主であることも宣言した。 そして、2世紀後、ニケア公会議は(325年)その信仰の宣言の内容と共に 三位一体の信条を神学的に決めた。

  この信仰宣言は キリストの教会の一致保つ。 実際に、信仰宣言を唱える事によって、キリスト者が世界に広がっている全ての信徒と一致する。 同じ信仰の内にあって 立ったままの姿勢で、キリスト者は キリストの復活を表し、また信仰が与える希望を宣言する。

18-共同祈願

 ユダヤ教の典礼にあった、初代教会の典礼の大切な部分となった信徒の祈りは 様々の理由で 4世紀から典礼から外された。  第二バチカン公会議のお陰で(1964年)もう一度 この「oratio universalis 共同祈願」が、 ミサの大切な部分となった。 共同祈願は 宇宙的な広さをもつもので、各共同体のニーズを越えるべきである。 共同祈願が 神の民の祈りであるから、世界に広がっている教会の一致を目指し、聖徒の交わりを実現し、具体化する。 み言葉の典礼は、共同祈願で締めくくられる。

19-祭壇

 奉納の式は祭壇の方へ共同体の皆さんの目を向けさせる。 初めに普通のテーブルであった祭壇は 初代教会の迫害の時代から殉教者の墓となった。 今日の祭壇も はかであり、その中に殉教者の遺骨の入った石がはめ込まれている。 ヨーロッパの祭壇の下には 必ず、殉教者の体、あるいは聖人の体が置かれている。 祭壇はキリストの象徴であり、キリストは同時に、祭壇、供え物を捧げる司祭、捧げられる生け贄でもある。

 さて、キリストの墓である祭壇の上に、あるいは、そばに置かれている十字架は キリストの受難を思い起こさせる。 壇の上に敷かれる三枚の白い布は、死者の亜麻布と同時に キリストが三日間墓の中に納められた事を現わす。 杯とパテーナの下に司祭が置く小さな布は 死んだイエスの顔に置かれた覆いを思い起こすものである。 祭壇のろうそくはキリストの復活を表現する。

20-パンとぶどう酒

 ユダヤ人が安息日と過ぎ越しの食事の時に、家の主人が杯を取り、「私たちにぶどう畑の実を下さる神に、すべての世紀を治める主に賛美!」と唱えてから、皆に最初のぶどう酒の杯を渡す。 次に、家の主人が、パンを取り、「大地の実りとしてこのパンを下さる神に、すべての世紀を治める主に賛美!」と唱えてから、パンを裂き、皆に配る。 この二つの賛美の祈りも ミサの奉納に残っている。

 司祭はぶどう酒の内に一滴の水を加えながら 次のように言う「この水とぶどう酒の神秘によって、私たちが人となられた方の神性にあずかることができるように。」と。 ここで、私たちとキリストとの切り離せない一致が示され、更に パンとぶどう酒と共に私たちが 神に捧げられるキリストの体となる神秘も示される。

21-手を洗う習慣

 安息日と過ぎ越しの食事の時に、出席の皆が手を洗うことである。 手を洗うことは、食事に神聖な意味を与える。 人は神の前で食べ、自分が必要とする食べ物を毎日下さる事を神に感謝する。 また食事が終わると、一番若い人が水とたらいを持ってくる。 皆がもう一度自分の手を洗う。  清めの印として、神に供え物を捧げてから司祭も手を洗う。 この儀式は キリストが晩餐の時に同じ事を行ったことを思い起すためである。

  また、初代教会の信徒はミサ祭儀の時に貧しい人々のために服や衣類や食べ物や飲み物などを寄付して運んでいたので、司祭と助祭たちは奉納の時 全部整理したうえで ミサ祭儀のために必要なものだけを取っていた。 その後、きたなくなった手を洗っていた。 教皇ピオ5世の典礼によると この儀式は 受難の時 十字架の死刑にイエスを引き渡され、手を洗ったピラトの動作を思い起こさせた。 第二ヴァチカン公会議からミサに残っているこの儀式は キリスト教の長い歴史をすべての信徒と結び付け、 従って司祭を通して共同体全体が清められている。

22-献金

 献金は 教会の税金ではなく、また昔に自分の席を借りるための仮代金でもない。 むしろ、困っている色々な共同体とひどい目に合っている人々に対して 教会が委ねられた使命を果たし続けるように 必要な援助金である。 捧げられた献金には 秘跡的な役割がないので、祭壇の上に置くことができない。 普通、祭壇の横か前か、又は、香部屋に置く。

23-奉献文

 奉献文と言う祈りを 初めから終わりまでの間、唱えるのは 司祭だけである。司祭は in persona Christi 即ち(キリストの名によって、キリストと共に、キリストの内に)父なる神に向かって奉献文の祈りをささげる。

 現代使っているミサの奉献文は すべて 初代教会のものである。 第一の奉献文は一番古くて、シリア地方の典礼であり、特にエルサレムとダマスコの教会で使われていた。 ローマの信者がそれを利用していたので、今も「Canon Romano ローマの奉献文」と呼ばれている。

 トレントの公会議(1562年)において、カトリック教会の典礼は、すべて、ラテン語で行われると決められた上、更に1570年に、教皇ピオ5世はこの奉献文をほんの少し直して、カトリック教会の唯一のものとした。 また、信者の数が少ない時以外は、司祭は 日曜日のミサを 始めから終わりまで 歌わなければならなかった。

 第二奉献文は ローマの聖ヒポリテュス(3世紀の初め)の「Traditiopostolica 使徒的伝統」に述べられている。 第三と第四の奉献文は、5世紀の終わり頃のもので、「Constitutiopostolica 使徒的規則」に書き記されている。 第二ヴァチカン公会議(1962~1965年)のお陰で この三つの奉献文は改めて使われるようになり、又 それぞれの国の言葉を使うことも許された。

 時代と場所によってミサの式次第が変わっていったが 典礼の中で新しくなったものは 三つだけである。 これらは、まず 聖霊の働きを願う「Epiclese エピクレジス」,次に「Gloria 栄光の賛歌」、最後に「Agnus Dei 平和の賛歌」である。

 ヴァチカン公会議から 第二,第三、第四の奉献文は 二つの「Epiclese」を取り入れた。 つまり、一つは 聖変化の前に、聖霊によって、供え物であるパンとぶどう酒が聖とされ、キリストの御体と御血になるように願うことであり、 もう一つは、聖変化のすぐ後に 信徒も、聖霊の交わりの中で、聖とされ、神に捧げられたものとなり、キリストと共に一つの体、一つの心、一つの霊となるように願うことである。

 「キリストによって、キリストと共に、キリストの内に…」と言う奉献文の最後の部分を 信者たちが 司祭と共に唱えることは決して許されていない。 司祭がそれを歌っても、歌わなくても 世界中のキリスト者は ただ「アーメン」だけを答える。 しかし、日本の教会だけが 奉献文の最後の部分が歌われている時だけ、信徒たちは「すべての誉れと栄光は、世々に至るまで」という部分を歌う許可を受けた。 だが、司祭が それを唱える時には 世界中に広がっている教会の信徒たちと同じように、日本の信徒も「アーメン」とだけ答えられるのである。

24-記念

 イスラエルの民を始め、キリスト者にとっても「記念する」ことは、誕生日のように昔の出来事を思い出し、何回も繰り返して祝い、あるいは、それを再現すことでは 決してない。

 記念することは「聖なる行い」であり 神の前で、神と人々のために 過去の出来事を「今、ここで、聖霊の交わりの中に」現在の出来事、実際に初めて行われる出来事とすることである。 神だけがその神秘を可能とする。

 言いかえれば、「ミサ祭儀の記念」は 秘跡的な行いである。 教会の信仰の内に、現代に生きる私たちは ただ一回だけ実現された過去の出来事に、実際にあずかるように、この秘跡的な行いをする。 また、栄光のうちにキリストが来られる日まで、この秘跡的な行いは 全人類に未来を開いている。「神の祝福が 幾千代までにも及ぶ」(出エジプト20, 6)からである。

 そう言う訳で、「信仰の神秘」と司祭が宣言する時に、信徒たちは「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」と答える。 ミサの記念は言い表せない神秘であり、あらゆる時代、あらゆる文化の人々のために実現されている「あがないの神秘」である。

 それで、生きている限り私たちは、ミサ祭儀の記念のおかげで、十字架に付けられているキリストのすぐそばに、信仰によって、自分たちの親しい人々を連れて来ることが出来る。 しかも、その上、あらゆる時代の死者も、まだ生まれていない人々にも そう出来るのである。 これこそ 全人類をキリストのあがないの神秘に与らせるために 毎日捧げられているミサの意味と私たちの信仰の目的である。 キリストのあがないは 全ての時代を救うので、信徒たちはその救いの協力者となる大きな使命を持っている。

 ミサ祭儀の真只中での「信仰の神秘」の宣言は キリストの記念を行っている共同体が、信仰の恵によって、確かに、実際に、その時にこそ、キリストの晩餐、受難、死、復活と昇天に、あずかっていることを証している。 ちょうど、集まっている共同体の中に、パンとぶどう酒の姿で キリストが実際に、確かに存在しているのと同じように。 「聖変化の神秘」と「記念の神秘」は親密に一致して、離すことの出来ない神の不思議、命のあふれる貴重な恵である。 そう言う訳で、ミサ祭儀や教会の秘跡を授ける人は「神父」ではなく「司祭」と呼ばれている。 なぜかと言うと、司祭は「in personna Christi」即ち「キリストになって」ミサを捧げ、秘跡を授けているのだから。 他の多くの時には司祭は ただ、神に選ばれた人として「神父」と呼ばれている。

25-拝領の典礼 (交わりの儀)

 主の祈り:拝領の典礼は 主の祈りで始まる。 いくら個人的に主の御体をいただいていても 共同体的に キリスト者はキリストの神秘的な体になっている。 聖アウグスティヌスが教えたように 信徒たちは 聖体拝領によって、「受けたもの(キリストの体)となる」。 そこで主の祈りを一緒に唱えたり、あるいは、歌ったりすることで、頭であるキリストの祈りは キリストの体であるキリスト者の祈りとなる。 言いかえれば、ただ、神の御一人子イエスの祈りだけであったこの祈りは 神のすべての子供、イエスの兄弟姉妹である全てのキリスト者の祈りとなる。 主の祈りによって、キリスト者たちは 神に御自分をいけにえとして 捧げるキリストと一致する。 聖体拝領はそれを具体化する。

26-副文

 副文:悪からの救いと共に世の平和を父なる神に求めている願いは 五世紀から主の祈りに加わえられた。 つまり、ローマの教会が 野蛮人の攻撃を次々と受けていたから キリスト者たちは試練に対する力と平和の時代を神に切に願っていた。 現代のキリスト者たちは 司祭の口をとおして、自分のためだけではなく、世界のすべての人のために 安定した生活とゆるぎない平和を願い続ける。

 司祭の祈りに キリスト者たちは次のように答える 「 国と力と栄光は、かぎりなくあなたのもの」と。 この言葉は聖ヨハネの黙示録の中に見つけるいつかの祈りのうち、おわりのものである。(黙示1,6; 4,11; 5,13; 7,12; 19,1

27-教会に平和を求める

 教会に平和を求める祈り: 昔、司祭は聖体拝領をする前に 一人で、小さな声で、三つの祈りを唱えていた。 しかし、第二ヴァチカン公会議から、司祭は 皆の名によって、皆の代わりに最初の祈りを大声で唱える。 第二の祈りを 司祭は 聖体を裂く時に、小さな声で唱える。 そして司祭は第三の祈りを 平和の賛歌の後に 小さな声で唱える。 キリストの遺言の言葉をかりている最初の祈りは 教会に平和と一致の恵みを求めている。(ヨハネ14, 27-) しかしこの平和と一致は 神御自身の賜物として 世界に与える平和と違って、キリストを信じる人々だけに与えられている。 神との和解とキリストとの一致の恵みによって、キリスト者がみな、聖体拝領出来るように この祈りは必要不可欠である。

28-平和の挨拶

 平和の挨拶:従ってキリスト者が キリストの御体をいただく前に、互いに交わし合う平和の挨拶を通して、実際に互いを赦し、受け留め、互いに和解するように招かれている。 その条件を実現し、兄弟姉妹と和解すれば、キリスト者が キリストの体を拝領できる。 平和の挨拶は 静かに行うように、また、長く続けないように 教会は忠告している。

29-聖体を割くこと

 平和の挨拶の後、司祭は大きな聖体を割き、そして一切れを杯の御血に落とす。 聖体を割くことは キリストの死を表現し、聖体の一切れを杯の御血に入れるのは キリストの復活を示す。その間に、三回繰り返される「平和の賛歌」の祈願は キリストが 三日間、墓に納められたことを現す。 また聖体の一切れを杯の御血に入れるのは もう一つのことを意味している。 というのは、昔、ローマの教皇は ローマ教区の全ての小教区に(毎月)大きな聖体をおくる習慣があった。 そこで、各小教区の司祭が 日曜日のミサの時に この大きな聖体から 一切れを取って、自分の杯に入れた。 この典礼的な行いによって 司祭たちとローマの教皇との一致が示されていた。 この習慣が だんだん、全ての教会の伝統的な行いとなって、今も続いて、司祭と司教が結び合って、一致していることを表現している。

30-平和の賛歌

 既に、前に書いたように、三回繰り返す「平和の賛歌」の祈願は キリストが 三日間、墓に納められたことを現す。 「Agnus Dei 平和の賛歌」は 聖体を割く時に、ともに祈願するように、教皇セルジオ1世(687701)によって ミサの典礼に入れられた。

31-聖体

 2世紀に 教会は 丸い、白い「ホスチア」を使うようになった。 その前は キリストが晩餐の時に パン種のはいらないパンを使ったと知られていたにもかかわらず、教会は、「ホスチア」として 普通のパンを使用していた。 3世紀以後、 聖体を拝領しない信者は、決してミサに参加することが許されていなかった。 更に、5世紀からは、すべての信者は 尊敬を示すために 病者が受けるように 聖体を直接、口で拝領しなければならいと教会は決めた。

  しかし、中世から20世紀まで、信者は日曜日のミサに参加しても、聖体を拝領していなかった。 信者は、主の御降誕と主の復活の時にだけ聖体を拝領し、他の時には、彼らは 司祭が高く上げる聖体を見たり、聖体の行列にあずかったり、聖体訪問と聖体礼拝をしたりするだけであった。 その後、だんだん、信者は ミサの時以外にも聖体を拝領するようになった。 例えば、巡礼の場合、病気の時、臨終の時である。 1905年に教皇ピオ10世は 聖体に対する尊敬を認識し、区別のつく年頃(7歳頃)の子供たちと一般の信者が しばしば拝領する習慣を養うように強く勧めた。 第二ヴァチカン公会議まで キリスト者は しばしば罪の赦しを受けてからしか、拝領していなかったのであるが、今日では、大勢のキリスト者は 赦しの秘跡を全く受けずに、たえず聖体を拝領する。 しかし、赦しの秘跡と聖体の秘跡の間の正しい均衡を見つけることは大切である。

32-聖体拝領の招き

 聖体を拝領するキリスト者はその責任を取らなければならない。 「神の子羊の食卓に招かれた者は幸い」と司祭が宣言する。 その言葉は 同時に次の意味ももっている。つまり「招かれていない者は 不幸だ。」という意味でもある。 即ち、聖体を受けるのに 全く相応しくない人や、長い間 罪の赦しを受けず、また長い間 教会から離れていた人や あるいは、自分がキリストを受けるのには相応しくないと分かっていても、皆と同じようにしないと恥ずかしいと思って、皆を真似て、行列に入り、聖体拝領する人は この重大な責任を取らなければならない。

 使徒パウロは コリントの教会への手紙の中で次のように教えている。「誰でも、自分をよく確かめた上で、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。」と。(1コリント1129) 教会は 聖体拝領にキリスト者を招く時に その事を思い起こさせる。 しかし、教会はあわれみをもって 「相応しくない者は絶対来ないで、不幸だから」を言わずに、むしろ「招かれた者は幸い」と宣言する。 しかしながら、結果は変わらない。 この誘いを聞き分けてから、拝領するかどうか、を識別し、キリスト者たちが神の前に自分で責任を取るべきことではないだろうか。

33-拝領祈願

 拝領祈願を唱えることで、司祭は ミサ祭儀の間に キリストの名によって集まった共同体が受け留めた全ての恵みに対して、父なる神に感謝する。

34-祝福

 続いて司祭は皆に神の祝福を与える。 祝福はただ神だけのものだから、絶対に司祭の祝福にならない。そういう訳で司祭は 頭を下げて皆を神の名で祝福する。 このように、司祭は皆と一緒に神の祝福をいただく。

35-派遣

 神の豊かな祝福を受けたキリスト者が 自分の周囲に対してキリストにおける信仰をあかしするために 司祭は 共同体を派遣する。「さあ、行きましょう。主の平和のうち。」 キリストの証人として遣わされている皆は その責任を喜びのうちに果たす決意を表すために「神に感謝!」と答える。

36- スライドショー。 グイノ神父様の様々なスライドショーは、カトリック夙川教会のホームページに収納されています。 ミサについては特に スラードショー「ミサのはじまり」をご覧下さい。


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